第四回世界俳句協会日本総会報告

清水国治(WHA顧問、俳画コンテスト審査員)

毎年四月二十九日は世界俳句協会の日本総会、というのが定着してきた。今年はその四回目が東京の小石川後楽園で開催された。実のところ、私の本職の関係でいえばこの日には全国的な行事があり、私用でウロウロするのはちょっと気になるのだが、当協会の顧問という立場をいただいているので、その任を優先するようにしている。当協会の会員は全国に広がっているから、東京まで出て来るのにはそれなりの決心がいるだろうし、また、都内に住んでいても多忙な立場の方もいる。そんなわけで総会には馴染みの顔ぶれがみんな揃う事はない。それでも今回は三十名が後楽園の涵徳亭に集まった。いずれも気持ちはインターナショナル、という面々だが、皆日本人である。今回はオーストリアからの留学生であるカリン・デグルが参加してくれたので国際的な雰囲気ができた。

涵徳亭の不老・蓬莱二室を使って午後二時すぎに総会が始まった。夏石ディレクターが国内外の会員のために日本語、フランス語、英語で挨拶をし、これはビデオ録画された。録画はYouTubeのウェブサイトに掲載され、インターネット経由で世界の会員に届くことになる。ビデオウェブサイトの活用は前回総会での会員の朗読で経験済み。今回はこの挨拶に加えて、総会後の朗読22本も掲載される。
数年前に比べインターネットのデータ送信は格段に向上した。さらにブログなど、手軽なホームページもできるようになった。世界という舞台で活動するには、いずれも欠かせないツールだ。テキストだけを扱う俳句はもともとインターネットと相性がよく、この通信手段の黎明期から世界の俳人たちは、句のやりとりをしてきた。データ送信が向上するにつれて、さらに画像データである俳画、そして音声や映像データである朗読ビデオなどもやりとりできるようになってきたわけで、私たち俳句関係者にはとてもよい時代になって来ている。国内外で俳句をたしなむ人々は概ね高齢だが、海外の会員は高齢であってもインターネットに馴染んでいる方が多いので、積極的な活用は必須だ。当協会としても積極的に新しい技術を活用していきたい。

夏石ディレクターは挨拶で、今年の秋に開催されるリトアニアでの第五回世界俳句協会大会に触れた。開催地はリトアニアの首都ヴィルニュス(今年の欧州文化都市の一つ)とドルスキンカイという地方都市である。この地で毎年開催されている国際詩祭に合流しての開催になるので、今回のタイトルは「ドルスキニンカイ詩の秋ならびに第五回世界俳句協会大会2009」と多少長めになっている。夏石氏はこれへの参加を呼びかけた。そして、「私たちは、俳句が詩のエッセンスであり、詩の未来であることを信じている」と締めくくった。録画後に夏石氏は協会の定款に触れ、協会の使命の一項目である「俳句の母胎である日本語を尊重し、英語を現在の国際語として使うことを認めながら、すべての言語での俳句創作と俳句翻訳の実践を促進する」ことを改めて強調した。当協会年刊出版『世界俳句』アンソロジーでは、すでにこの実践の一端が見られる。いろいろな言語が一冊に含まれるアンソロジーは、『世界俳句』のみである。価値ある出版物だといえる。国内では普段目にすることのない言語、たとえばモンゴル語のようなものを扱うわけで、編集、翻訳スタッフの方々はかなり神経を使っているはずだ。コツコツと続けられるこの努力の積み重ねが当協会の力になっていく。

この挨拶のあと、参加者の自己紹介に移った。俳句との関わり、関心事、近状、協会への期待などが語られていった。会員の皆さんは普段それぞれの動きをされており、人生経験を積んでいる方々なので、話の端々が心に残ったりする。私より年配の方を見ると、私自身への叱咤激励のもとになるし、年下の方には頼もしさを感じたりもする。いろいろな年齢や経験の方が集まる場所に身を置く事は、とてもいい刺激になる。
世界俳句協会全体を見るとその会員は人種や文化、そして言語の違いがあり、俳句については普段はそれそれの国、地域の集まりに参加したり個人的に活動している。人生経験においては実に多種多様になるだろう。多様性は即、俳句表現に現れるから多様な句が詠まれる。あたかも世界中に無数の俳句結社が存在するという状態だ。そういう人々を世界俳句協会という一つの組織でまとめるとはどういうことなのか。まとめるということにどのような意義があるのか。自己紹介を聞きながらそんなことを考える。普段は個別の活動をしていても、二年に一度開催される世界俳句協会大会に集まり、多様性を持ち寄り切磋琢磨の場にする。大会に参加できなくともそこでの語り合いの記録を通して自らの作句活動の糧にしていく、ということなのかと考えたりする。協会の基本的な役割は会員に対するこのような情報交換と発信なのだ、とも考える。

結社や個人を束ねるのだから、協会自体が一つの結社のような性格をもってしまっては具合悪いだろう。協会は、多様性を容認し、理解不足は補い、そして束ねる核として、会員共通の目標を掲げることが大切だ。その目標とは夏石氏が挨拶で述べた「俳句が詩のエッセンスであり詩の未来である」という俳句の価値を、会員の作句活動を通して世の中にアピールしていくことだと考える。自己紹介の締めくくりでは、八木忠栄氏(元『現代詩手帳』編集長)を名誉会員に、秋尾敏氏を協会の渉外担当にそれぞれ推挙され、承認された。 

自己紹介の後は、『世界俳句2009 第5号』に関する報告となった。号を重ね、全体的にレベルが向上してきたとのこと。日本語の句は、きちんと詠まれたものは、翻訳しても通用することも分かってきたとのこと。これはエッセンスがきちんとした句は、原句でも翻訳でも価値があるという意味だと理解した。編集、翻訳、文字入力にはかなり手間がかかるとのことで、このスタッフの充実が今後の課題だとの報告であった。
会計報告は、会計係の鎌倉氏が行なった。昨年秋に開催された「東京ポエトリー・フェスティバル」へ寄付をしたこと。スポンサー企業が出てくる可能性があること。このような内容の報告であった。

この後、リトアニアでの大会について夏石氏より日程やプログラム、参加者について説明がなされた。現在のところ、今回は18カ国約50人の参加が予定されているそうだ。「ドルスキニンカイ詩の秋」に参加すると、記念アンソロジーに作品が掲載される。大会では、記念の大人向けの俳句コンテストや俳画コンテストを企画したいとの提案もあった。

その他の報告として、東京ポエトリー・フェスティバル事務局長の秋尾氏より行事報告と、世界俳句協会の寄付に対する謝辞があった。夏石氏からは、「ドルスキニンカイ詩の秋」のアンソロジーや他国で出版されている国際アンソロジーなどが紹介された。それぞれ大変センスの良いデザインが施されている。表紙を見ただけで中身の文化程度が分かる。詩句集にはアート的配慮が欠かせないと改めて認識した。
最後は会員による俳句朗読。今回は三味線の伴奏付きであった。小唄の師匠である和敬由三郎さんが、粋な着物姿で登場。予め朗読者が書込んだ句の資料をもとに慣れた手つきでシャンシャンとやって、朗読者をうまくのせてくれた。

サングラスの丹下左膳突っ走る    八木忠栄
島のそこここ命の元が落ちている   夏石番矢(イタリア語で朗読)
白魚や目と目が会って時止まる    丹下尤子(英語で朗読)
もう一度かがやくために椿落つ     鎌倉佐弓
歯は寒し髑髏の齟齬や恨み千年   石倉秀樹(台湾語で朗読)
顔に光背中に陰夕暮れ時  カリン・デグル(日本語で朗読)

朗読で盛り上がったあとは、小憩を鋏んで懇親会。さらには新宿での二次会へと高揚感は続いた。

空飛ぶ法王猫に招かれネオン飲む  詠み人知らず