長谷川 裕
2005年12月14日夕方から、麹町のEU・ジャパンフェスト日本委員会事務所において、世界俳句協会主催により、カジミーロ・ド・ブリトー氏の来日歓迎会が開かれた。参加者は秋尾敏、松岡秀明、表ひろ、樽谷俊彦、アウレリオ・アシアイン(メキシコ大使館文化担当官)、安田政子、諸藤留美子、高宮千恵、斎藤和子、末広陽恵、山片かんな、高遠守、渡辺君子、鎌倉佐弓、宇井十間、長谷川裕、竹内絵視、石倉秀樹、夏石番矢、よしかわつねこ(詩人)、斯琴朝克図(内蒙古詩人)、横木徳久(文芸評論家)、箱田さおり、熊野真美(以上2名EU・ジャパンフェスト日本委員会)、知念明子(七月堂)、小屋敷晶子(読売新聞社)の26名。
6時開始の予定であったが、定刻を1時間過ぎても、肝心のブリトー氏と夏石番矢が現れない。鎌倉氏曰く、先日、夏石は東京駅でカジミーロと落ち合うはずだったが、雑踏に紛れてお互いを見つけられず、東京駅じゅうを探し回ったあげく、ようやくポルトガル大使館で氏と、約束の時間の5時間後に出会えたとのこと。ブリトー氏、極東の大都会に放り出され、迷子となったわけだが、そこは旅慣れたもの、東京駅で昼食を取り、タクシーでポルトガル大使館を探し回って乗り付け、そこでポルトガル大使から今後の協力を取り付ける話し合いをしながら、夏石氏を待っていた由。 ようやく7時半になって両名到着。ブリトー氏と夏石氏は、スウェーデン大使館で開催された金子兜太氏のチカダ賞授賞式に出席し、ぎりぎり歓迎会に間に合うはずであった。ところが、授賞祝賀会に美智子皇后が出席、両名とも俳句や世界俳句協会について言葉を交わすことができたのだが、警備のチェックが厳重を極めたうえ、大使館近辺が道路封鎖され、大渋滞となったための遅刻とのこと。 とりあえず夏石氏、ブリトー氏の挨拶につづいて、待望の乾杯で一同喉を潤す。秋尾敏氏を皮切りに、参加者それぞれが日本語と英語による俳句朗読をおこなった。日本舞踊、謡いなどの芸能披露も加わり、朗読後半にはアシアイン氏のスペイン語俳句、石倉秀樹氏の漢俳や漢詩、文芸評論家・横木徳久氏のポルトガル語俳句が朗読された。横木氏は、詩歌の創作はまったく初めて、その朗読も初体験とのこと。来年1月末から、同氏はポルトガルに留学する予定。さらに斯琴朝克図氏のモンゴル語俳句が朗読され、計六カ国語と、まさしく多言語詩の饗宴とあいなった。 |
トリをつとめたのはブリトー氏と夏石氏の『連句 虚空を貫き』100句。二人が互いに向き合い、呼びかけあうかたちでポルトガル語と日本語で連句を朗読した。
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無限の螺旋
黙して歌う われらが体内 人の天国は 鼠の天国と 同じだ |
Espiral infinita cantando silenciosamente no nosso corpo O paraíso dos homens igual ao paraíso dos ratos |
ポルトガル語は、世界でも屈指の美しい響きを持つ言葉である。それは水と風のささやきが織りなす音楽である。ブリトー氏の口から放たれる生のポルトガル語は、まさに生きた言霊であった。ポルトガル語を知らぬ筆者は、テキストを見ながらでなければ意味は判らないのだが、もはや意味など二の次で、その響きに浸った。言葉とは音楽のように、自分の耳で聞くものである。
いや、美しいのはポルトガル語だけではない。スペイン語も、英語も、モンゴル語も、そして日本語も美しいのである。それが生身の人間の口から、責任を持って堂々と発されるのであれば、言葉には生命が宿る。言葉は個々の肉体が放つ生命の響きである。現代の俳句、現代詩は、さらに詩を根源とする散文は、書き言葉の意味にのみ淫するあまり、言葉のもつ本源的な生命力を見失ってはいないか。そんなことを断片的に考えるうち、したたか酔った。予定より1時間遅れ、10時解散。個々の肉体は個々の言霊を蔵して、三々五々、凩の街へと散った。 下にカジミーロ・ド・ブリトー氏の略歴、業績を付す。 |
●カジミーロ・ド・ブリトー Casimiro de Brito
1938年、ポルトガルのアルガルベに生まれる。少年期、青年期をアルガルベで過ごし、商業学校に学ぶ。コルク農場や自動車修理工場など、様々な職を経て、ロンドンに移住。当地のウエストフィールド・カレッジで講義を受け、日本の古典詩と出会う。1959年、ポルトガルに帰国し、金属製品倉庫の会計係、教師、ジャーナリスト、海外通信員、銀行員、銀行役員などを遍歴。1969年から1971年にかけて、ドイツに在住し、以後リスボンに定住。現在は職業作家。
1953年に始まる彼の文化活動は、新聞、雑誌への寄稿、詩の朗読、詩作、小説、エッセイ、翻訳など。その業績は140のアンソロジーに収録され、22カ国語に翻訳されている。彼の活動は無数の朗読、座談、および国内外における学校、工場、文化団体、大学での講義などであり、それには世界中の会議、大会への積極的な参加もふくまれる。リスボン、ポルト・サントー、ファロにおける国際詩歌祭ディレクター。『昼の手帖』(1956年〜1959年)、『十月/二月/十一月』(1970年〜1972年)、『Loreto 13』(ポルトガル作家協会の機関紙。10年に渡って同誌の編集委員をつとめた)など、数冊の文学雑誌を編纂。著作は詩、小説、アフォリズム、エッセイなど42冊に及ぶ。ポルトガルペンクラブ会長。世界俳句協会、国際詩歌祭「地中海の声」、およびブラジルの詩誌数誌などの顧問。 最近、彼の詩業はレオポルド・セダール・サンゴール国際詩歌賞を、また2004年に『Libro dell Cadute』で、イタリアで出版された最も優れた詩集に与えられるシビラ・アレマロ&マリオ・ルージ・ヨーロッパ詩歌賞を受賞している。近年の俳句連作に『荒廃』があり、その一部を2005年、ソフィアの第3回世界俳句協会大会で朗読した。 主な著書 『迷路』(ポルトガル作家協会賞受賞、1980年)、『Ode
& Ceia』(1955年から1984年にかけての創作を含む。最も優れた詩選集に与えられるヴェルシリア・イタリア賞受賞、1985年)、『主人でも奴隷でもなく』(1986年)、『二つの水 一つの河』(アントニオ・ラモス=ロサとの共著、1989年)。『唐突に沈黙』(1991年)、『Intensidades』(1995年)、『Opus
Affettuoso』(ペンクラブ賞受賞、1997年)、『少しづつ』(1999年)、『メストレ通りにて』(2000年)、『貧しき芸術』(2000年)、『移り気な動物』(2001年)、アンソロジー『愛、死とその他の悪徳』(2001年)、『Libro
delle Cadute』(2004年)、『Livro das Quedas』(リスボン、2005年)。
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