■会合報告 Meeting Report
違いを超える俳句-第四回世界俳句協会大会松岡 秀明
第四回世界俳句協会大会が、2007年9月14日から16日までの3日間にわたって東京で開催され、12カ国から延べ約270人が参加した。12ヶ国の内訳は、アジア5ヶ国(日本、中国、内モンゴル、インド、タイ)、アメリカ2ヶ国(米国、キューバ)、ヨーロッパ5ヶ国(リトアニア、ラトビア、エストニア、フランス、ルーマニア)である。
大会に先立つ13日、私は海外からの2人の俳人を出迎えに成田空港へと向かい、秋尾敏氏と落ち合った。フランスからのジャン・アントニーニ、リトアニアからのコルネリウス・プラテリスを乗せた飛行機はそれぞれ遅れることもなく成田空港に到着した。午後到着の飛行機で現われる海外からの参加者を待つ秋尾氏を空港に残し、私はこの2人の俳人と成田エキスプレスで上野へと向かった。車中、それぞれにとって母語でない英語で話をした。話題は、日本、フランス、ブラジルの文化と多岐にわたり、とても楽しい時間を過ごすことができた。私にとっての大会は既に始まっていたのであった。
9月13日夕方5時半、上野の水月ホテル鴎外荘で大会の開会が宣言された。森鴎外の旧宅を敷地内に持つことで著名なホテルである。明治にあって国際人であり小説のみならず短歌、俳句をよくした鴎外ゆかりの地は、この大会が開催されるに相応しい。
最初のプログラムである歓迎会は、エストニアのアンドレス・エヒンの挨拶で始められた。俳句を「事物の本質の瞬間的理解」とするエヒンは、俳人は読者を美によって麻痺させる。そしてその美は読者の美意識を洗練させる、と述べた。この挨拶のなかで、エヒンは悟り、エピファニー、見性といった宗教で用いられる言葉を用いて俳句を論じた。彼の俳句の理解には賛否両論あろうが、宗教人類学を専攻する私にとっては興味深い内容であった。続く挨拶でも、俳句についてのさまざまな見解が述べられた。阿部完市の「ことばを越えることば」、リトアニアのコルネリウス・プラテリスの「詩の一ジャンル以上の詩」、内モンゴルのスチンチョクト(代読)の「世界で一番親切なあいさつ」等々であるが、どれも俳句のさまざまな側面を捉えている。
阿部完市の挨拶の後、彼の音頭で乾杯となった。乾杯が終わると、参加者たちは食事をしつつ歓談を楽しんだ。そして、朗読が行なわれた。このセクションには世界各国からの俳人が参加した。日本からは俳人のみならず、歌人や詩人も参加した。朗読は、期間中数回行なわれたが、世界各地の俳句を俯瞰するのにたいへんいい機会であり、本大会の非常に重要な部分である。私は朗読を楽しみ、大いに刺激を受けた。
15日の日曜日、再び水月ホテル鴎外荘で午前九時から世界俳句協会会議が開催され、ディレクターにフランスはリヨン在住のジャン・アントニーニが選出された。また、次回第五回世界俳句協会大会(WHAC5)が、2009年のリトアニアの首都ヴィルヌスで開催されることが決定された。ヴィルヌスは2009年度の欧州文化首都となることになっている。
予定時刻より30分早く、10時半から6つの講演が昼食をはさんで行なわれた。第1演者のキューバからアメリカへの亡命詩人オルランド・ゴンザレス・エステヴァはスペイン語圏での俳句、特に日本の俳句の翻訳がスペイン語で詩になっていないことが多いと指摘し、英語圏の俳句翻訳からの立ち遅れを指摘した。続くジム・ケイシャンはアメリカにおける俳句の出版状況を概観し、インターネットによる発表の場の拡大と紙に印刷された形態で俳句を世に問う機会の減少を指摘した。私は後者をいささか残念に思う。俳句を紙に印刷されたものとして読みたいのは私だけであるまい。
午前中のプログラムが終了した後同じ会場で美味しい昼食をいただき、夏石番矢が勤務する明治大学のお茶の水キャンパスのリバティ・タワーへと参加者たちはそれぞれ移動した。午後の最初の演者蔡天新はパワーポイントを用いながら中国の詩の歴史を概観した。続いてルーマニアのヴァシーレ・モルドヴァンがルーマニアにおける俳句の歴史を概観した。第五演者のラトヴィアのレオンス・ブリエディスはラトヴィア俳句のさまざまな実例を紹介した。最後の演者夏石番矢は、日本神話の英雄ヤマトタケルの東国遠征のさいに詠まれた短詩を起源とする俳句は、もともと移動し非日常的な視点から詠まれる短詩である、と論じた。そして、芭蕉の傑作「荒海や佐渡に横たふ天の河」が持つ対立要素をも包み込む立体性と哲学性を基盤とするなら、あらゆる言語で、あらゆる国で、さらに豊かな俳句創作の未来が展開してゆくと締め括った。
15日には、また講演の合間に国際俳句プレゼンテーションが行なわれ、2言語以上で表記された近刊句集が4冊紹介された。米国のジム・ケイシャン著『プレゼント・オブ・マインド』(レッドムーンプレス社)は英語と日本語、ポルトガル詩人カジミーロ・ド・ブリトーと夏石番矢の共著『連句 虚空を貫き』(七月堂)は日本語、ポルトガル語、英語、仏語、鎌倉佐弓著『薔薇かんむり』(サイバーウィットネット社)は日本語、英語、ルーマニアのコルネリア・アタナシュー著『ミラーは落ちている』(アタール社)はルーマニア語、日本語、英語の3言語で表記されている。今後、こうした複数の言語で表記された句集が増えることによって、世界俳句はより多くの読者を獲得するであろう。
講演が終わると、都心を一望するこのタワーの最上階23階で立食パーティーが開かれた。そして、なごやかな雰囲気のなか明治大学副学長の挨拶、俳句コンテストの結果発表が行われた。
今回私はこの大会に初めて参加させていただいたが、とてもよい集まりであった。俳句というひとつの詩形のもと世界各地から人が集い、自作を朗読し自説を述べる。これは素晴らしいことである。以下、私が思ったところを手短に記してみたい。
楽観すべからざる事態がある。それは俳句だけでなく詩全体にかかわることである。エステヴァはスペイン語圏での詩の読者の減少を嘆き、ケイシャンはアメリカでの印刷された形態での俳句発表の場の減少を報告した。これは大いに気になるところである。人類が今にいたるまで育んできたこの表現方法は、これからどのような運命を辿るのかについて詩人(いうまでもなく俳人も含まれる)は考えなくてはならない。
日本ではどうだろうか。私は前夜の懇親会で在日韓国人のパク・キョンミから韓国では詩集は5,000部印刷されると聞いて驚きを禁じ得なかった。そして、韓国では詩人が尊敬されていると聞きよりびっくりした。句集、歌集、詩集、の第一刷は一般的に六百部、多くて千部であり、自費出版がかなりの割合を占めている日本では、これは考えがたいことである。日本で詩人が尊敬されないまでも、詩に触れる機会がもう少し多くならないものかと思う。それは詩人たち自身の努力にもかかわってくるのであり、その自覚が要請されている。
世界俳句の未来についても考えた。モルドヴァンは、ルーマニアにおける神聖な木ライムについて言及し「普遍的な象徴とルーマニア独自の象徴の両方を用いることにより、ルーマニアの俳句は国際的な俳句界という大きな星座のなかで小さな星として光り輝くでしょう」と述べて講演を終えた。これは世界俳句の持つ共存が必ずしも不可能ではないロカリティとインターナショナリティの二つの側面を指摘したものだ。簡潔な説明があれば、読者は異文化におけるさまざまな表象の豊かな意味を汲み取ることができる。世界俳句の発展のひとつの可能性は、ここにあると私は考える。
エヒンは、俳句が俳人と読者を活性化する、と述べた。私も同感である。俳句がますます世界に浸透することを期して筆を擱きたい。